文化を守りたいなら力ずくな方法は避けるべき

文化は今なお生き残っているものもあれば、とっくに滅んだものもある。

文化を必死に金や権力で生き残らせようとしたり、潰そうとしたりするのは文化を大事だと思っての行為ではなく、文化を利用したいだけだ。「昔からある文化だから守るべきである」と言う言葉も、既に持っている自分の権威、名誉、居場所の保守の為でしかない。文化を守りたいなら力ずくな方法は避けるべきである。

 

なぜなら物事を金や力等の形而下的手段以外で解決するから文化なのだ。

 

弱肉強食の世界において、そのまま弱者が死んだら文化じゃなく自然の摂理というだろう。しかしなぜか強者が弱者を保護したり、守ったりするから文化になるのだ。

 

文化を守りたいならその価値を示す義務を伴う。なぜなら後世の人は価値を理解しないとその文化を続けないからだ。

その文化をただやり続けるだけでは生き残らない。「伝統文化は守らなければならない」と義務にするのは継承の強要であり、残ったとしてもその本来の価値まで理解しているかは不明になる。

 

価値を伝えず形だけの文化になると唯の行事と化し、もう文化の意味が無くなる。もし文化として本当に立派だとしても、後世の人に「私はやりたくない」と言われたらその文化は潮時である。

 

今文化はあまりにも多様になり、複雑と化し、混乱してきている様に思える。もしこれが続いていくと、何を信じればいいのか分からなくなる日が来るのではないだろうか?

今家族や結婚といった人間関係、労働、教育、宗教、他人に対する理解などの価値や意味が崩壊し始めている気がする。他にもあるだろうし、この中に本当に大事なものもあるかもしれない。だが「やりたくない、欲しくない」と思われている様ならどんな文化も崩壊する可能性がある。それを無理矢理になんとかしようとするのは逆効果になるだろう。

 

文化が大事だというなら、その文化の持つ重要な価値と意味が何なのかを示す事を重視した方がいい。これは文化という括りで語ってはいるが、教育や道徳も同様だろう。